Wednesday, November 25, 2009

B5 話し合いトピック

皆さん、おはようございます。今日はネーティブスピーカーが話していらっしゃいますね。私の話題はシートからの一番目です。実は、私は先生に差し上げた話題だから当然に担当します。

私は留学した時に日本の伝統的なお正月を参加させてくださいましたから、その経験の話を共有しようと思います。本当にお正月の料理、すみませんけど今ちゃんとの単語が忘れている、とっても美味しいです。最近授業で食生活を勉強しているし明日からアメリカのサンクスギビングになるし、祝日の特別な食べ物や習慣を話したら面白い国際交流になると思います。

話したとクラスメートにはあんまり留学したことがないと聞いて、それからおそらくほとんどのクラスメートがよくお正月ということが分からないし、今の留学している日本人のお客さんはアメリカのサンクスギビングということが分からないでしょう。ですから、お互いに文化の相違を楽しみに話しましょう。

とにかく、元の考えはアメリカのサンクスギビングと日本のお正月だけでなくて、他の祝日の特徴、特に食べ物や瞬間、お好みに話せると思います。

私は僕の家族の伝統的なサンクスギビングの特徴を伝えたくて、それにアメリカの伝統的な特徴も伝えたいと思います。それからグループの皆さんの各経験には他の特徴があったら、何でしょうと聞くつもりで、その後に日本人のお客さんには質問があれば皆が答えて、お客さんの祝日の説明を聞きたいと思います。

後二時間になるでしょう。頑張りましょう!

Friday, November 13, 2009

面白いリンクを共有しようと思います

実は冗談だと書いてありますが、同じような日本語の同級生に見せて上げたいと思います。私達の授業の中には、日本語の専攻の人達がいますか?

リンクはこちらです。

Thursday, November 5, 2009

B4 日本語が勉強の目標

このブロゴを読んでいる人にはこんばんは。明日までの宿題になったから今書きます。今のブログの話題は二番目の自由ように書くブログですから、今度は僕は「どうして日本語が勉強しますか?」という質問を答えようと思います。

最初は、僕がニンテンド時代の子供でした。80時代にはニンテンドのファミコンが登場して、子供の時だったから今より暇があって、よくテレビゲームをやりました。89年ごろ僕と弟はファミコンを買う為になんこものゴミ袋を満たして買えました。その時からゲーマーになっていったけど最近そんな暇もありません。その時にニンテンドという会社は日本の会社だと分かったけど何年後まで計画をたたなかったです。(そうして、ファミコンという物はアメリカでNintendo Entertainment Systemを名交わして、略はNESかNintendoだけと呼ばれました。)まだ子供時の中にいつか友達と話したときには「ね、一日に元の日本語でこのゲームを遊べばいいな!」と思いました。

ですがテレビゲームの興味だけではありませんでした。8才になったまでアリゾナ州に住んでいて、そのときからカリフォルニア州の北へ引っ越しました。その二つの町には白人とメキシコ系人しかあんまりいませんでしたので、アジアから物事は全然違いそうだと思ったから興味になりました。小さい時にはテレビでアジアのスペシアルをよく観てて、建築(寺など)や伝統の音楽や言語やアジア人の見える特徴までは全然違うと思いました。それに、格闘技の発表も観えて、「すごい!!」と感激しました。

…ですが、僕の住んでいる町にはあんまりアジア人か物がありませんでした。合気道の道場がありましたけど高校から卒業したまでに授業を受けませんでした。ずっと子供の時には両親は僕に色々な経験をさせました。例えば高校まで4-Hというプログラムにさせて、中学校の時からバイオリンを弾かせて、高校の時にはスポーツをさせました。そうしてよく言われたことは、「絶対に君は大学へ行きますよ」でした。僕の考えは、「いいんじゃない、やっと日本語とか日本の文化を勉強できるし留学する経験もできるだろう」と思いました。実は高校から卒業したから一年にお金のせいで待たなくてはなりませんでしたが、やっと僕の一番行きたかった大学へ行けて、その時からよく色々の日本に関係があった授業を受けたり、留学したりしました。Lewis & Clark Collegeは小さかったから日本語という専門がありませんでしたが、東アジア研究の専門があったからその専門を選んで、BAと卒業しました。

日本語が勉強したいの他の理由もありました。中学校ごろ、よくRPGのテレビゲームで遊んだ時に、「日本で働けて暮らせたらすごい」と考えました。そのごろにJET Programのことを知りまして、「本当だ?!英語を教えたら日本で暮らせる?!」と学んだら、ぜひJETにしよう熱心が始まりました。

…そうして、結局その夢も叶えました。四年間で大学で日本語を勉強初めてから卒業したからJETに入って、青森県まで行かせて下さいました。三年間で公立学校で英語を教えて助けて働きました。本当に日本人さんたちに英語を教えることが大好きだと気が付いたが、その小さい町で一人暮らしのことはもう限りました。ティーチングのことがまだ大好きだし、皆によると似合っていると言われて、次の計画は本当の先生になりたいです。もうシアトルに住んでいるから日本人さんに英語を教えることはあんまり必要ではありません。ですが外国語の先生の働きが好きだから、「まあ、日本語の先生になろう」と思います。思った意外にこの州に日本語の先生になり方が大変なんです。それに、自分の日本語がまだまだ上達しなくてはならないと気が付いて、今はもっと授業を受けます。うまくいけば、Japan 423を終えたらワシントン州には僕の日本語能力を認めてくださって、UWのMasters in Teaching Programから卒業したら本当の中・高校の日本語の先生になればとっても嬉しいし感謝します。一生懸命に頑張ります!